2017年11月29日水曜日

ザラキの話

肉の日は語呂で簡単にわかるけど、そういえば魚の日はあるのだろうかとふと考えた今日「いい肉の日」。基本的には肉より魚派ですが、とりあえず何か肉を食べようと思って今日は唐揚げ…鶏肉はハツなどの内臓系でなければどの部位も好きなのでありがたい。(ささみ最高)

のっけからマラソン進捗だめです。「お題解禁当日にはすでに投稿できる状態でストックしておく」のが自分の密かな理想ですが、最近は当日になっても普通に作業してます。理想のハードルを「当日の日中までに完成させる」にちょっと下げたので話を練る分に必要な日数と合わせると多少は余裕が持てるかな?


昨日の進んだところまで!ちょいバレだけど場面自体は前回のお題で描写したところなのでアングルが違うだけ。呪文のエフェクトなどは他の部分の色を塗ってから乗算で上から足してます。終わらないよ〜…そして今日の1日1絵もまだこれから描くところ_(:3」∠)_

ザラキのような呪文は効果が絶大な分使用者の品格や意識が問われる、ある意味では非常に繊細な呪文だと感じます。
敵キャラでは悪魔やら悪霊に近い精霊の類やらいかにもなメンツが使ってくるのに、味方側での習得可能者は賢者のような全ての魔術に通じる才覚のある者か、僧侶のような神を畏れ人を助く聖職者に限定されるあたりにそんな雰囲気を感じる。
人間の敵キャラではマルチェロ(3DS版)などが使うものの、彼も聖堂騎士団ひいては法皇でもあり内面はどうあれ立場上は聖職者には変わりないし…

サマルはなぜザラキ・ザオリク・メガンテを習得可能なのか…ああ見えて(?)信心深いのか、本人の魔力の資質の問題か…初代勇者様は本編中で覚えなかった呪文なので、遥か昔のご先祖からの隔世遺伝かも。(僧侶や賢者がお相手前提みたいな口ぶりになってしまってますが数百年の間にそういう血筋がどこかから入ることは想定内だと思って)

そもそもなぜ僧侶系統が使えるの?という点に関しては「僧侶だからこそ」という解釈をしています。宗教的なお話ですが、聖書(特に士師記など)では神を畏れる預言者や選ばれし存在が神に依り頼むことでその加護を受け「我々の敵(たいてい異邦人)」を滅ぼすシーンが山のように出てきます。単純な傷や病の癒しなどでなく生死そのものを左右する呪文は資格のあるものにのみ神から授けられた力、という理論。聖書の人物たちは神の霊を宿したところでたいていは武力で敵を滅ぼすの(怪力サムソンがいい例)ですが、少なくともドラクエにおける僧侶や神官は非力なので魔術の方面にその力が流れているのかな〜というのが自分なりの仮説です。
(崇めてるのが邪神なのでさっそく仮説に矛盾してしまう)神官でありながらパワーファイターでもあるハーゴンなんてまさに「神の霊が激しく彼に降った」状態だと思います。……DQ世界は一神教らしき文化の割に悪神も善神も複数いるし。まぁいいか!

味方側の使用者が聖職者に限られるのはそんな感じ。敵は…邪神を崇めてるのかもしれないし、死そのものを実体化したようなやつらもいるので人間とは法則が違うのだと思われる。

そんなわけでザラキに関するプチ考察は以上。
ところで最近の絵でお気に入りの場面が一つあります。


擬音がかわいい竜王のひ孫。EDで話しかけた時のちゃん付け宣言は萌えますね。
ハーゴン討伐の頼みを一度断ってから話しかけた時のちょっと根に持ってる口ぶりもかわいい。すっかり朽ち果てた城にずっと引きこもってて暇じゃないのだろうか。

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