2020年8月29日土曜日

20200829

最近の絵です!


フードって描くの難しいですよね。資料見ろよって話なんですけど、ゆるくらくがきする分にはあまり意識してないので変なとこで手が止まったりする。

2020年8月22日土曜日

作品と視線の話

冷房設定を24〜25度辺りで推移するのが例年の夏なんですが、ここ数日は23度設定にしても部屋が生ぬるくて泣きそうです。フィルター掃除したばかりなのに…殺人的暑さ……
甲子園大会が中止になったので今年は夏の昼間が空いてしまうなあと思いながらダラダラとしていたのですが、いつのまに交流試合なるものが開催されててびっくりしました。少し違った形にはなるけど、今年ものんびり観戦しましたよ。地元校が勝ってて嬉しいです。

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絵への体力気力を失ってゴロ寝を繰り返している間にもなんとかそれなりの量の文章を書くことができたし、近頃はゆっくりながらまた絵を描いていられるので個人的にほっとしています。

最近またまた作家さんの筆を置きます宣言が創作上の色々な話題に波及してましたけど、難しいですよね。
承認欲求で作品を作ること自体は悪いわけじゃないし、多分なんですけど人が初めて何かを形にしようと思った時に感じたものは多分褒められたいとかじゃなくて純粋な衝動だと思うので、最初はよくても時とともに蓄積されたギャップが苦しいって感じなんでしょう……

「認められるための仕事をする」と言い換えれば、ある種勉強なり業務なりスポーツなり誰でもやってることのはずで、文学とか芸術とか社会での立ち位置が間接的な分野というか、うまく言えないけど…単純な技術と評価がイコールにならない世界だから「承認欲求で作るな」っていう論調になるんでしょうか? でも結局内心というか思想・信条は自由ですしね。難しいな。

私も正直「思ったより反応がもらえない」時は苦しいと感じますし、でもきっとそれを表明することは賛同よりも多く反感を買うであろうなという感覚もあって、言わないようにしてます。(絶対に言わないとは言ってない)
上述のなにが一番問題かって、たとえば可能性としてもらえる反応の上限を100としたうち「0」ならある意味言いたい放題ですけど、「1」でも反応があったのであれば多分その人は何か作品に良いなと感じてくれた人なわけで、その「1」を無視して得られなかった「99」にばかり目を向ける姿勢ってことですよね。そりゃ悲しい。私がそういうことを言わないように心がけてるのは「1」の人への感謝があるからで、かわりに「良いと思ってくれたn人だいすき」って感じでとらえてます。
でもこれ「思ったより反応がもらえない」とも両立・並存する感情なので、その辺をどう自己解決していこうかな……というのも普段よく考えています。

だいたいそういうギャップが生じる理由が
・アピールが足りていない(上げる時間帯が悪い、再掲しない、宣伝しない、タグをつけていない等)
・多くの人のみられる環境にない(Twitterであればフォロワーが少ない等)
・要素が人を選ぶ(特殊性癖とか)
・単純に自己認識より下手
とかなんですけど、一番上と一番下以外はなんかどうしようもないんじゃないかな?という気がする。

2番目の問題はSNSの構造上、新着であるとか人気であるとか、話題にされてるものがより優先的に表示されるようになるので、多くの人の見る環境っていうと結局は評価が得られている的なことになって、AをするのにAが必要みたいな……そんな感じ。解決できなくない?と思う。3番目は単にもう需要と供給の問題。どうしようもない。

自分自身も最近はそうなってるのでとやかく言えないんですけど、もう今はpixivやらなんやらで「自らいいものを探しに行く」というのをやらないって言いますし…流れてきたものを見るだけ、見逃していても探さない、ひたすら受け身のスタイル。
小学校の図書室でおもしろい本がないかと棚をじりじりカニ歩きしたり、司書の先生におすすめを聞いたりしてた頃のパワーがずっと維持できたらいいのにな〜と思う。
(そもそも論として、SNSという受け手側の能動性のみ数値化するツールがそういった創作と相性が悪いってのはここでずっと言ってるんですけど)

美術館や個展なんか行くと、見せられる限りのものはそこにただ鎮座してて、スタンプラリー設置でもしてない限りそこに来た人が「気になって足を止めた」「いいなと思った」のがわかる瞬間はほんの刹那なんですよね。来場者アンケートなどがあっても全員が書くわけでなく、書いたとしてもこれがよかったです、と具体的に書く人はもっと少ない。
上で言ったSNSだと非公開型のブックマークとか、そんな感じじゃないですか?「これ好きだな」と思った気持ちはそこに確かに残ってるけど、見た側にしかそれは確認できなくて作り手からの観測手段はないという……

やっぱりSNSの数字ってクソだわ!(結論)
余談ですが、たまに絵を描いてからUPするまでに数日のタイムラグが発生する事があるんですよね。「自信作だからあまり見られないと凹んじゃうな→誰が見てくれなくても自分がこの絵を好きなんだから、凹む事がわかってて上げるくらいなら自分以外に見せる必要なくない?→でも見て欲しい!好きだから!」のループに決着がついた時にようやくUPできるんです。めんどくさいなお前。
落ち込んだ時とか、誰かが「視線を向けてくれた」「足を止めてくれた」っていう事実を思い出して大事にできるようにしていきたいですね。

2020年8月11日火曜日

ゲーム語りとか

 bloggerのデフォルトになった新しいUIが使いにくすぎて、ここ最近はスマホから投稿を編集していたのですが素直にPCを開くことにしました。
PCといえば、最近はタブレット端末全盛時代なのでローマ字入力ができない世代が増えてるって聞いて結構びっくり。でも欧文/和文タイプ、ワープロときて今はフリックor直にペン入力の流れなんだろうなと思うと、この次はどういうスタイルに変わるんだろうとか少しわくわくする気持ちがないでもないですね。タイプライターの時代はさすがに知らないけど、ワープロは幼少期に家族が仕事で使ってたのでわりと身近。

暑さが半端なくていのちだいじにって感じなんですが、のんびりラッキーパネルやってたDQ7もオルゴ・デミーラ第一戦を終えまして、これからトゥーラ弾きを探しに行くところです。しかしなんであいつが復活したのか…
7の印象的な存在である四精霊ですが、メルビンの回想シーンで神と魔王との決戦が行われた際、それと思しき4色の光が神から切り離されて地上へ落ちていく演出が挟まってましたね。「神が自身の敗北を悟った際に生み出した分身」という説明と「古来より精霊を信奉する一族がいる」という設定について矛盾しているのではないか、という声があるようですが、別に矛盾はしないんじゃないかなと思っています。
7の世界観全体に下敷きとして存在するであろう聖書及びキリスト教の概念に「三位一体」というものがありますが、父・子・聖霊(「精霊」は誤記)はすべてそれぞれ同一の存在でありながら個々に独立して存在するという……(多分そういう理解でいいんですよね?この辺は自分もあまり詳しくない…)この仕組みに沿えば、7の神と精霊の立ち位置もそれに近いものと言えなくもないですね。
「元々は神の一側面としての存在であり、独立した人格がなかった」精霊たちが、決戦の際に神から切り離されて「独自の意思を持ち行動するようになった」と考えれば、大きな矛盾はなくなる気がします。炎の精霊を信仰するエンゴウの民は精霊のことを「炎の神」と呼んでますし、神でもあり精霊でもある、という感じなんじゃないかなと。水の精霊が主人公を守ったこととか、ジャンに後天的に出現した神のアザとか、その辺りも前述の内容とマッチすると個人的には思う。
ただそうなるとそれぞれの精霊の性格も神の一部だったともいえ、風の精霊のものぐさコギャルな性格はどこから……?ってなるんですけど、DQには伝統的に「ぴちぴちギャルになりたがる爺」のキャラクターが存在するので神様もその類型だったということでゴリ押せないかな……もうすぐわしは ぴちぴちギャルになるんじゃ!(なれません)

夏恒例のキャンペーンが開催中なので久々にグラブルもつついてます。いつのまにクリス様に最終が来ててびっくりしました……遊んでなさすぎるのが悪いんだけど、必死にポーカーやってメダルを稼いだ思い出がよみがえる。風属性キャラの中では一番愛着がありますね。
ver2バトルの頃からやってないのでちょっと仕様の学び直しに時間かかってますけど……デビルの5凸が終わったのでフラウさんと一緒に何かマルチをやりたいところ。

2020年8月10日月曜日

20200810

bloggerの投稿を書く編集画面のUIが新しいものに勝手に変わってて大困惑の最中です。旧UIは今月下旬におしまいになるらしい……いわゆる「直感的なデザイン」ってわかりにくいし誤操作しそうで私は苦手なんですけど、今のところは特に場所を移す予定もないので頑張って慣れてみようと思います。

自転車を修理したのでまた元気に外に出られるぞー!と思ったのもつかの間、暑かったり雨だったりでその機会も少なめ。タイヤだけでなく昔転んで歪ませてしまった荷台も交換してもらって、あとはカゴにつけるカバーも買いました。10年ほど乗ってる自転車ですが保管環境がいいのかまだまだ鯖もなくピカピカなので、アシスト付きのが欲しくならない限りはずっと乗り続けるだろうなと思う。
本当は運転免許が取れたらな、とも思うんですけど、昨今の煽り運転やら自分の不注意さやらを考えると、取らずに過ごした方が平和だな、と思います。誰でも試験さえ通れば免許が取れる時代ですけど「短気な人はハンドルを握らないでほしい」と思ってるし、自分も例外ではない…短気というより気分のムラがモロに行動に出るタイプなんですが、自損はともかく人身の可能性を思うと怖いなぁと。自転車でもたまに思いますしね。無灯火やめれ。



2020年8月5日水曜日

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8月です!
暑くて頭がぼーっとしてると忘れっぽくなったり、気力がなくて1日数時間しか起きられないので困りますね。先日も寝ようとして歯を磨いている最中に薬の飲み忘れに気付いたりして、脳の活動が低下してるのをひしひしと感じます。


先月アップルちゃんが引っ越すことになったので、パニーの島でお別れ撮影会。今まで集合写真を撮っておく発想がなかったのが悔やまれますが、むしろ早い段階で気づけたのは幸いかも。
引っ越したはずのキャラメルちゃんが写ってますが、色々な幸運があってまた入居してもらった次第です。

小説に限らず、ブログでもなんでも長文を書くことを一種のトレーニングのつもりでやってるんですが、書くことがないとか書くことはあっても体力がないとか、そんな感じでこうやって間があくとどう書いてたかすぐ感覚がなくなってまた面倒。元々思考にまとまりがなさすぎるのでTwitterのような短文はパパッと言語化するのに適してて使いやすいなと思う(SNS特有の苦しさはまた別問題として)んですけど、もっとしっかり人に伝わる形の文が書ければ自分にも他人にもいいこと尽くめだし!

6月からこっち長いこと続いてる燃え尽き症候群の延長だとは思うんですが、まだまだ絵を描こうって気分ではなくて毎日布団のシミと化してます。とはいえ基本的に何かしてないと落ち着かないので、起きてる時はSSを書くなり、家族宛の書類の代筆なり、積んでたゲームや本を少しずつ見ていったり、キャパを超えない範囲でやれることをやってます。次に作る本の仕様決め(組版とか)もやってる。
描いた絵や文は容量が許す限り残しておくタイプなので、本にできそうなデータは生きてる間にできる限り本にしたいなという理想がある……文庫も作ってみたいし、掌編集みたいなのにも憧れます。文庫の方は連載してるロレサマ小説を編集すれば一冊出せそうだなと思ってるので計画中…こんな調子で物、もとい本が増えるので部屋が片付かないのが目下の悩みなんですが、多分一生の課題になる気がする。同人誌に限らず本が好きなんですよね。昔は可愛いデザインのノートを集めたりとかもしてました。

今後の予定としては、のんびりと年末までにあと一冊くらい何か出したいなというところなんですけど…体調というか色々気になること目白押し(?)なのでそこから先に解決したい。健康チェックの意味でも受診したい科がたくさんある反面、このご時世なんであんまりほいほい病院に行くのもアレなのかな…と躊躇してる。