2018年11月30日金曜日

歳末に向けて

11月も今日で最後になりました。「いい**の日」の流れがようやく終わることに安堵。
「**の日」と銘打った特別な日を楽しむよりも、某お茶会のごとく「なんでもない日おめでとう」と言って過ごしたい。と言いつつ自分もあとひと月足らずで誕生日を迎えるので、去年は何をしてたっけ、今年は何をしようかな、など考えたりしてました。

近頃風邪が長引いていて、それでも原稿に注力しようと思っていたら更新を少し放置する形になってしまいました。月1更新だった時もあるので大した問題ではないんですけどね!ようやく落ち着いたので、年末は気楽にらくがきして過ごしつつ、年明けから本格的に個人誌の方を作業再開できたらと思ってます。あくまで理想なので実現できなくてもご容赦ください。
月末は残念なことになってますが、今月は結構元気でした。例えばこちら


先日発売されたポケモン公式によるMy151シリーズ。用事があってもなくても大体ストアに行く元気がないんですが、今回は具合もよく売り切れも想定されたのでさくっと行って買ってきました。かわいいですコダック。
ポケモンの存在を身近で知ったのは第三世代(RSE)の頃のことでしたが、実際にソフトを買って遊び始めたのは第四世代(DPPt)から。ズイタウンからカンナギタウンへの通路の途中、カフェやまごやのそばの道を塞いでいた4匹のコダックがかわいくて…多分そこがコダック推しの出発点じゃないかと思います。あとDPPtではきのみを育てるじょうろもコダックじょうろでしたね。
ラプラスはいつからだかわからないけど、初代産の無進化ポケモンでありながら完成されたデザインと種族値がたまらなくて、ポケダンシリーズでもよく引き連れていました。

ちなみに背後のディスプレイに映っているデンチュラは自分の絵です。いつか第五世代まで商品化されたら絶対買いに行きます。


年末だし、本垢もどうやら12月中に(またしても)10万ツイートを超えそうだしで色々今後のことについて考えたりしていました。
2017辺りからゆったり絵を放流していこうと絵垢を作ったのですが(当初はグラブルの絵を何枚か出してたけど今はすっかりDQ垢になってますね)消すまではいかないまでも一旦「絵以外のツイートをする」のをまたやめようかなと思い始めています。別に関わりを断ちたいような嫌いな人がいるわけではないのですが(嫌いだったらつながってないし)、どうもやっぱり自分の好きなジャンルを同じく好きでいる人とつながるというのが向いてないみたいです。
決して同担拒否ではないし好きなジャンルや推しキャラはむしろいろんな人に愛されてほしい。でも自分が何か描き続けたりしていこうというときに誰かと一緒にやりたいとか、みんなで仲良く何かして盛り上がりたいとかそういう気持ちが全然ない。むしろしんどい。ただのコミュ障なんだろうか?でも誰かから「あなたのどれそれが好きだから、これに参加してほしい」と声をかけていただけることはとてもありがたいし、嬉しいと思ってます。

以前「初耳学」を視聴していて(林先生がドヤったりドヤられたりするあの番組です)、損得ずくの「人脈」を否定した時どんな人間関係を築いていくかという話がありました。説明下手なので詳しくは「ルフィ型 ケンシロウ型」で検索した方がぱっとわかると思いますが、それを見ながら(あ〜多分自分もケンシロウ型なんだろうな)と思ったのを覚えています。自分も、と言ったのは解説していた林先生自身もケンシロウ型と言ってたからなので特に深い意味はないです。
何かに打ち込む時にそれを一緒にやる友達みたいなのは必要なくて、自分の内で何度も反芻したりしながらひとりで高めていきたい。それを見て「一緒にやりましょう」と来てくれる人に対して拒むことはないけれど、自分からは誰かに声をかけたりということはなくて、ひとりで続けていたいんですね。寂しいな〜と思うことがないわけではないけど、自分に向き合っている時間はすごく楽しい。

まだ絵垢の処遇については明確に決めたわけではないけど、とりあえずそんな感じで検討しています。

2018年11月21日水曜日

「オタク」の話

なんだか近頃ほぼ日更新に成功しています。去年はなんとなく更新を続けたいという目標もあり年末まで毎日更新してたんですが、今思うと元気だったんだなあ。体調がすぐれない日でもおそらく更新はしていたはずなので、主に精神的な部分での元気があったのだというお話。
たまに日付を跨いで書いたものを前日のうちに書いたものとして公開してたりしてますがご愛嬌。

最近の生活といえば、かわいい男の子うひょひょー!って言ったり(一応補足しておきますが、二次元にしか存在しないイマジナリーな客体であって実在の一般男児などを指すものではないですよ)壺おじさんこと【Getting Over It】に興味を持ったり、新作のピカブイが発売された今でもずっとポケモンBW2を遊んでたり、そんな調子です。原稿もちゃんとやってるのでとてもえらい!立派だ!
と言っても個人誌の方は一旦休止中ですので、年単位でも待つよという方はぜひ宜しくお願いします。
前回の投稿でちらっと触れていた国際孵化は途中で飽きて放り出しました。お前はいつもそうだというあの巻き寿司コピペが目に浮かぶようです。代わりに全国図鑑を本格的に埋め始めたのですが、手持ちの過去ROMを総動員しても入手できないメンツはさてどうしようか。


今日は「オタク」という概念について、なんとなく考えたことを書いてみます。
オタクってひと昔前は「マニア」という呼ばれ方が普通だったような、マニアと呼ばれていた世代の人間でないのでその辺りはなんとも言えないのですが、オタクに呼ばれ方が変わって以後、「マニア」と呼ばれるような類のオタクは減っている気がするのです。
私も人にオタクかと聞かれればオタクだと答えられると思いますが、マニアと呼べるほどの何かは多分持っていないと思います。物心ついてから今まで絵を描いて絵のことばかり考えて過ごしてきたので絵に関してはマニアなのかもしれませんが、かといって名作絵画にも近年のイラストレーターにもどっちにも詳しくはなく、もっぱら自分の好きなものを描いて満足してるという具合。画材も今はデジタルだから何か特別なソフトを使っているというわけでもなし。(アナログの時はコピックを使っていたし今も50本以上持っているのですが、使ってない時間が長すぎてだいぶ扱い方を忘れてしまいました)

SNSがネットの標準スタイルになってからは特にその傾向が出ている気がします。
「今期の〜〜」とか、今の推しは〜とか、推しが変わるのは人間の常なのでそれはマニアでもよくあることじゃないかなと思うんですが、クール毎や半期毎に移り変わるアニメなどのコンテンツの流れに乗りつつその話題でコミュニケーションを楽しむのって、例えば主題となるコンテンツ部分が「今流行のファッション」とか「アイドルの新譜」になったら?いわゆる「パンピー」と変わらないんじゃないかな?これっていわゆる「ジャンル」「界隈」が違うだけで、究極そこに住まう人の基本的な部分は共通してるというか、作品を一人で消化するタイプのオタクが相当減ったなあと思うのです。
Twitterとかやって誰かフォローしていればその人の感想はTLに流れてくるし、作品ハッシュタグをクリックすれば様々な感想がすぐに見られる時代です。なので、ある意味では誰それと感想を語り合わなかったとしても無意識にコンテンツ(の感想)を通じて誰かと関わっていて、それが相互に作用したりもするんですよね。

だからどうしたという話ですが、朱に交われば赤くなるという言葉があるようにネットの風評に無意識に影響されてよく知らないキャラに(よく知らないにもかかわらず)嫌な印象を抱いたり、当初の自分の解釈からずれたり、あるいは好きなものを好きと言いづらくなったり、はたまた持ち上げられすぎていて批判点を言いづらかったり……とか、考えてみると色々あります。究極「他人」をどう感じるかという問題なので、最初からそんなものはどうでもええんじゃと割り切れる人にはまさにどうでもいい話。
でもそんな人ばかりでは無いし、逆に誰かに何か言われていなくても、もしくはこだわりがある一方で過剰なくらい他人を気にするたちだったりするとなかなか過ごしづらいと思います。私は多分一番最後のタイプなので、自分でも楽に過ごせる方法を毎日探しているんですがまだまだ見つかってない状況。難しいです。
究極の手段は「インターネットやめろ」なんですけどそれを言っちゃおしまいってことで

余談ですがここまで書いて、ネット以前の時代に一人で作品を消化していたマニアな人たちの中にも「本当に作品だけが好きでそこに集うファンとのあれこれ(いわゆるクラスタ同士の交流とか)には興味の無いオタク」と「本当は作品を愛すると同時にファンともつながっていきたいオタク(ネットが無くたって知り合う手段は存在しましたけど)」がいたのかな?なんてふと思ったりもしたのでした。そこらへんも掘り下げてみたいけどそれはまた今度。

2018年11月19日月曜日

ひと狩り行こうぜ!(邪教を)

前回書こうとして記憶からすっぽ抜けていた序文ですが、いつも編集や確認をPCでしているので、スマホから見てる方からはこのブログってどう見えてるんでしょう。レイアウト崩れてたりしてんのかな〜とかたまに考えることがあります。かと言って別にどうもしないんですけどね。

ちょこちょことやることがあるのでそれを進行しつつ、そういえば最近遊んでいなかったなとふとMHXXを起動してみました。「最近」遊んでいないとか言い出すとDQもカービィも遊んでねえよ!ってなってしまうのですが、唯一起動していたポケモンBW2も延々と国際孵化を粘る作業しかしていなかったので遊んでるうちに入るかは疑問です。ちなみにまだ色ヒトモシは出ていません。


なんかギルカがきらびやか。下画面の名前からしてお察しですが、ぶっちゃけ人間ハンターはあまり使っていません。どうしてもマルチで人を募ってやりたいなという時には(ニャンターのオンライン環境での視線が厳しいようなので)ハンターさんに頑張ってもらいますが、結構な時間をニャンターとともに過ごしています。それでも累計使用回数はハンターの方が多い。理想を言えば同じニャンター好きのハンターさんとちょくちょく一緒に狩りができたら嬉しいのですが、時代はMHWに移り変わってしまっているので居残り組を探すだけでも大変だろうなと思いもっぱらソロ狩り。
サポート傾向はクッキーがアシストでプリンは回復。耐性が結構ガバガバのアンヘルシリーズやレア度的にスペックが不安なフルフルシリーズでも見た目の防具合成ができるおかげで心置きなく着せられるので、いつも後ろに天使とナースがついてきます。かわいい。狩りへのモチベも爆上げです。トルテの(見た目)防具はランポスシリーズだったりアシラシリーズだったり、青系が多め。

モンハンとドラクエといえば、以前にこんな絵を描いたりしてました。


タマミツネとムーンちゃん。ローレとサマルも描こうと思っていたのですが、あいにくモンスター側の造形をちゃんと把握できておらず未だに実行に移せないままです。色合い的にサマルはライゼクスと、ローレはディノとガムートどちらにするか迷ってるのですが、四天王筆頭という立場的にもディノの方が適任でしょうか。描けたらいいなぁ。ゲームのミツネはオスしかいないのですがそこはそれ、イメージの問題ということで。

ロトっ子がひと狩り行こうぜ!な世界観(ある意味元からそうかも?)だったとして、どんな武器を担ぐのかなと想像してみるのも楽しいです。
ローレは元から器用でゲーム内の全ての武器を装備できるので、文字どおりどんな武器でも使いこなせるプロハンでしょうが、サマムンとの兼ね合いを考えて大剣やハンマー等の重量級アタッカーになりそう。レア素材もガンガン獲得してくれそうな予感。しっぽきってください。
サマルはスピードや軽さ特化と仮定して生存性の高い片手剣やバシバシ連撃をこなせる双剣、FCの頃の最強武器や「力は強くない」という設定を考慮すると操虫棍が個人的には一番しっくりきます。虫とパートナーになっている姿もしっくりくる。(槍といえばモンハンではランスなのですが、あちらは大盾持ちの重量級武器なのでサマルにはあまり合わない)
ムーンちゃんはサポガンかな?あるいは見た目ネタ的にニャンターとか接近戦はあまり適さないかも。アイテムを駆使して前衛を癒してくれるとかわいいな。SFC以降の水準であれば、いかずちの杖を持たせると素殴りでもそれなりの火力になるんですけどね。

2018年11月17日土曜日

蚕の話(その2)

今回は序文に違うこと書こうと思って何か思いついていたのですが、ちょっと時間をおいたらあっさり忘れてしまいました。記憶力には人一倍自信がありません。
しょうがないので諦めてあったまっていきましょう。今日も蚕の話です。

(前回に引き続き虫についての話題注意)


先日の蚕ちゃんのサイズ感。ちいさい。頭の触角で色々感知します。ヒトみたいな姿形なのは妄想優先で描いたせいなので大部分はただのお飾りということで…ちゃんと機能するのは目くらい?足も1対減ってるけど蚕なので翅も実質使わない&よちよち歩き移動しかしないので大丈夫ですね
腹部を触っていますが、虫なので絵面的にはお尻をモミモミされてる感じのイメージです。(虫に関しては排出腔もある腹部の先端の方をよくお尻って言いますし)あんまり触ると色々中身が出そうな雰囲気なのでほどほどに。

人間を始めとした一部の動物の寿命がやたら長いおかげでわりと忘れがちなところもありますが、昆虫類は大抵「次世代を効率良く残す」ことに特化した人生(虫生?)を送りますよね。素早く繁殖、素早く産卵……その後はぽっくりと死んでしまったり。蚕もその例にもれず、羽化後は交尾をして産卵を終えると長くとも10日以内にはぱったり死んでしまいます。幼虫の間に一生分の食事をして、なぜか成虫になると一切食物を摂らず数日以内に死んでしまう虫は何種類かいますよね。一生のサイクルがこれだけ短いながら、ちゃんと繁栄できてるのはすごい。
(蚕の場合は需要を見込まれヒトに飼われることで安定した存続につながってるんですけど)

前回割愛した交尾の話。R-18的なことは特に言っていないはず。
蚕の交尾ってかわいいですね。見た目が白くてモフモフでかわいいからかな?それはさておき。
成虫が羽化すると、オスはメスの出すフェロモンを感知してメスに接近、お腹…?お尻…?(どっちで呼ぼう?お尻でいいか)お尻をくっつけて交尾に入ります。オスのお尻の先に鉤のようなものがついていて、それをメスのお尻に引っ掛けることで密着するようです。
メスを見つけてから交尾中までの間オスは羽ばたきまくります。飛べないのに。飛べないなりに本能的にメスに接近しようとしてるんでしょうか。どっちにせよ体が大きすぎて飛べないのですが、羽音は結構出ます。人生(虫生)最後の大イベントなので、張り切ってるんでしょうね。
この交尾がまた長くて、放置しているとお互い死ぬまでずっとつながっていたりすることもよくあるのだそうです。なかなか情熱的。でもそれやってるとメスが産卵できなくて困る。というわけで養蚕家や繁殖をさせたい飼い主は結ばれた蚕を引き剥がすことになります。お腹をつまんで軽くねじりながら離すだけ。せっかく結ばれたのに別れさせられるオスの心中やいかに……

ところで「割愛」って言葉、もともと養蚕農家が交尾中の蚕を引き離す行為を指す言葉で、それが一般用語として広まったんだとか。軽く調べてみたところ、さらに大元は仏教用語で、養蚕をする方の誰かが養蚕における割愛の様子と本来の割愛を似ていると考え取り入れたという可能性も云々……詳しいことはわかりません。個人的に詳しく掘り下げてみようという気ではいますが、今ここに書いている段階ではネットロアに過ぎないので、軽く読み流してください。

で、擬人化?というか亜人化?された蚕ちゃんですが、元ネタ通り食べて殖えて死ぬだけだと(かわいいけど)すぐに描くことがなくなってしまうので何かほのぼの系なものが描きたいとか思ったりしてます。愛玩用としても結構な数飼われているみたいですしね。
自然で生きていけない進化を遂げちゃってるので、飼育下でゆったりするよ!みたいな。羽化したら何も食べられないのに何をどうゆったりするんだと言われたら、そこはそれ、ファンタジーということでひとつお願いします。愛玩用なので品種的にも長生きとかそんな感じで。

おまけ


メスの蚕ちゃん。蛹の頃から卵が詰まっているためお腹を始めとした全体的な体格が大きく、オスのようにメスの出すフェロモンを探す必要がないので触角はオスより小さいそうな。メスがオスより大きいのは虫の世界ではよくあること。
余談ですが雌雄双方とも銀髪に描いたのは、蚕の生み出す絹の光沢をイメージしたものです。

2018年11月16日金曜日

蚕の話

夜間の気温が1桁台なのも普通になってきました。超寒い!
でもたとえ素っ裸になろうが気温そのものをどうにかしないと快適に過ごせない夏よりは対抗策が多いので以下略。序文が毎回同じような話になっている気がする。

※虫の話題をするので、苦手な方はご注意ください

寒いのでもしも人間でなければ冬ごもりしてただろうなー密閉型の布団みたいな空間に包まれたいなーと思っていて、ふと浮かんだ生き物がいました。


妄想優先のあんまりにあんまりな絵ですがこれでわかった方は多分同士

高級生地の代名詞でもある絹がとれる虫、蚕(カイコ)。子供の頃通っていた園で愛玩用にチャボやら亀やらいろんな動物を飼育していて、その中に蚕もいたため思い出深い動物の一種です。蛹になる前の終齢幼虫ともなると毎日モリモリとすごい量の桑の葉を食べるので、遊ぶ合間に減り具合を確認するのがなかなか楽しかったのを覚えています。
蛹化する時期になるとえさ箱の中でそこらじゅうに糸を吐き始め、先生方が牛乳パックで手作りした個室に幼虫を移し替えてあげます。(狭くないと繭をうまく作れないらしいので)その中で小さなシルクの繭が整然と並んでいる姿はとてもかわいいです。たまに繭作りに失敗したのか裸の蛹がプルプル震えていることがあって、それもまたかわいい。最近知ったことなのですが、あの糸を全部吐き切らないと蛹になる前に死んでしまうらしいですね。裸の蛹だった個体も繭がうまく形成できなかっただけで糸はちゃんと吐いたのでしょう、多分……

何がかわいいって、単純な見た目のかわいさに加え、人が逐一手をかけてやらなければ生きていけない儚さ。家畜化する段階で飛翔能力も脚の握力もなくしてしまったので、幼虫・成虫を問わず野生では生きていけません。というか生きていけないように人間がじっくりと品種改良していったんでしょう。うーんエゴを感じる。
それはまた本筋とは別の話になってしまうので置いておくとして、試しに屋外の枝葉に止まらせたとしても、握力がないので風が吹いたり少し傾けばすぐ地面に落ちてしまう。おまけに真っ白なので見つかりやすく、鳥などの格好の餌食。幼虫は餌がなくなっても逃げようとしない。悲しさすら覚えますが、かわいくてたまらない。
それでいて飼育の主目的が繭からとる絹糸なので、次世代の繁殖用に残された一部の個体以外は羽化する前に鍋で繭ごと茹でられて終了。さらに地方や国によっては茹でた後の死んだ蛹も釣り餌にしたり、佃煮にしておいしくいただき余すことなく利用される。その辺りも色々とたまらないですね。形容しがたい良さ。利用する以上無駄を出さないってのも大切ですよね。

羽化後の行動や交尾など他にもかわいいポイント目白押しなのですが、あまりにも長文なのでこの辺りで切り上げたいと思います。イラストの蚕ちゃん(男の子ですよ)はこっそりシリーズ化してpixivにまとめたいなとか思ったりしてるので、その日が来たらまたお付き合いください。

2018年11月10日土曜日

描き続けるための話

11月になりました。もう随分と冷え込むようになり、毎朝呼吸器の乾燥で悪戦苦闘してますが……着込めばなんとかなることと、みかんの美味しい季節ですので四季の中では好きかもしれません。毎週買っても週末までもたないくらいみかんが大好き。みかんが足りない🍊


最近のお絵描き。あえて説明しませんが、知っている方には「おっ」と思っていただけるかも。某所でこっそり公開したものですが、懐かしいとかまた見れて嬉しいと言っていただいた方々、本当にありがとうございました。嬉しいです。
色々あってもう彼女らを描くことはないだろうなと思っていたのですが、たまたま気分が向いたので描いてみました。今でもずっと大好きだ!


今日の記事のタイトルですが、今後も楽しく絵を描くために今一度自分の感じてることを整理して書いていくことにしたので、こういう題名になりました。人から見たら完全に弱音吐いてると思います。ここでなら見たくて見に来た人だけしか目に入れないからと割と弱音ばかり吐いてますね。毎回すみません。
自分の絵は大好きだけど、飛び抜けて上手いものでもないので好きだと言ってくれる方は大変ありがたいと思います。いつも元気をもらってます。

今書いた通り、自分の絵は飛び抜けて上手いとかそういうものではないので、もっとずっと素敵な作品を作ってもっと沢山の人に好かれている人は事実としているわけです。そういう人がいても、事実だから普段は気にすることはほとんどありません。その人たちの作品がさらなる原動力にもなったりするし。
ただこれが曲者というかなんというか、そういう方と縁あって仲良くなったりすると途端に気になって仕方なくなります。(距離が近くなると割り切ることが難しくなるんだろうか?)あの人は仲のいい人も沢山いて作品も頻繁に評価されていて、その点自分は?とどうしても考えてしまう。しかも描いてるのが違うジャンルなら平気で、同じジャンルだとこうなってしまうという嫌なおまけつき
有り体に言えば嫉妬でしょう。自己アピールも宣伝も誰かと仲良くするのも全部苦手なのに、それができる人と「距離が近いから」と同じ土俵に立った気になって比べてしまうのだと思います。相手の作品が好きであればあるほど苦しい。気にしなきゃいいじゃんと思ってはいても、目に入ってしまうと意識せずにはいられない。そしてそんな自分が嫌になって、ジャンルを好きな気持ちは消えていないのに何も描きたくなくなってしまう……というループ。

そんなわけで、今ではなるべく人と、もっと言えば同じく絵を描く人や同じジャンルの人との交流は避けるようになりました。(元から絵やら推し関連抜きで仲の良かった方とは続いていますが)
好きだから仲良くしたい派の人とはその点完全に合わないのが残念ですが、仕方ない。(題の通り描き続けるためにやってることなのでご了承くださいということで)相手のことは勿論、比べないようにすることで自分のことも好きでいたいです。