2018年12月25日火曜日

聖誕のあと

イブが明けました。ここから一気に世間が年末商戦にシフトしていくのでめまぐるしい。
去年の今頃の投稿を見返していたら、24日の記事タイトルが2年連続で「聖夜」になってました。しかも書いてることも割と一緒。前の年何を書いたかなんてそりゃ大抵覚えてないとは思いますが、なんとなくかぶせないつもりで書いてるのでちょっとズッコケ……1年に1回なのでこのくらいは構わないということで。

普段は思い出す余裕もほとんどないのに、せめてこういう日には神を思い起こそうと考えるのはむしろ元から信仰していない人よりも果たして不信仰ではないだろうかと自分に問うたりもします。そういうのは自問じゃなくてそれこそ神に問うべきなのでしょうが、自問してしまうのが悪いくせ。それでも不思議と平生よりは穏やかな気持ち。
せっかくなのできよしこの夜の歌詞(日本語詞でなく英語詞)を覚えたりして歌くらいは二ヶ国語で歌えるようになりたい。あとお勉強がてら和訳してみたりとか。単純にメロディがとても心安らぐので好きな曲でもありますが……
ちなみに宗派や地方や年代によって同じ聖歌(プロテスタントにおいては賛美歌と呼びます)でも微妙に訳詞が変わったりするので(一例としてそれまで文語調だった詞が改訂によって口語調になるなど)果たして自分の普段覚えているものと同じ詞で覚えている人はどれだけいるのかとたまに気になることもあります。

性なる夜だの性の6時間だのと言われるのはうんまぁ……日本じゃ家族で過ごすよりもカップルと過ごすのがステレオタイプ化しているのでカップルが共に夜を過ごして結果そうなるならそれも致し方なし、そもそも日本はキリスト教圏ではないので(中世のキリシタン全盛期ならいざしらず)雑にでもクリスマスという概念が知名度を上げて、そこから一歩進んでもっといろいろなことを知ろうという興味を持ってくれる人がいればそれもいいんじゃないかな!かくいう自分も教会から遠ざかっていた中高時代「性夜www」とか言った覚えはありますし

あとクリスマスは「大切な人と過ごす日」なので、その相手がファミリーでもカップルでも間違ってはないです。どちらも大切な人ですね。でもクリぼっちや仕事入れてる人を笑う風潮は滅びてもいいぞ!(個人の感想です)

*ここ余談*
ユダヤ人社会では安息日には仕事を休むという律法(つまり法律)が存在しましたが、前述のような方々は貧困ゆえにその教えを守ることができないため(娼婦をはじめ日雇い労働の常態化、そうでなくても羊飼いなど生き物に関わる職業は年中無休)新約の時代では当時の人気宗派「ファリサイ派(パリサイ派とも。律法を文字通り解釈し遵守を旨とする派閥で、生活に余裕のある階級に支持者が多かった)」からは「律法を守れない=罪人」と呼ばれ低く見られていました。こと安息日に関しては「世俗的な事柄から離れて1日じっくりと主に祈りを捧げ過ごすこと」が重視されたので、それを守れないということは神を蔑ろにしているとほぼイコールで見なされます。
キリストはこの風潮に対して「安息日は人のためにあるのであって、人が安息日のためにあるのではない。人の子は安息日の主である」と、本来人が安らぐために設けられた規則が逆に人をがんじがらめに縛っている状況を批判しています。(当初は文字通り安息のための日でしたがその頃は「マジで何もしてはいけない日」であるかのようにファリサイ派によって解釈をねじ曲げられていました)他にも色々律法について言ってたりしますがざっくり言えば「旧約時代の法律が現状に即してない、古すぎる」って感じのものが多いです。制定から1000年以上経過してんだから当たり前か。明治の民法とか日本にもそんな感じのちらほらありますね
*ここまで余談*

腹痛の方はとりあえず治りつつあります。なんとなくまだお腹に違和感があるようなないようなという感じですが、バナナとリンゴは万能ですね〜!

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