2020年12月13日日曜日

必要ということ

のんびりと島をいじくっております。キャンプサイトの位置がどうにも納得いかなくて試行錯誤したり、住民から写真をもらうため毎日ラッピングを買い集めたり、あとは隙間時間でイトウ探しとか。

絵リハビリをちょっとしてみたりもしたんですが、どうにも筆が乗るという感じからは程遠くなっています。描いてない期間が長すぎると勘を取り戻すのも大変ですね。またやる気になった時にやってみようと思います。感覚的に数ヶ月描いてない風に勝手に思ってるけど、意外と月1〜2枚くらいは描き続けてるんですね。ふしぎ。数日開くと1ヶ月くらい経ったように感じます。


主治医とお話した時に(普段から考えていたことであるにもかかわらず)吐露するうちに泣いてしまったことについて、なんとなくメモ代わりに。

長いこと「社会的に必要とされる存在でいないと生きていられない」と思い込んできました。そう思った理由の詳細は生い立ちに関わってくるのでもしnoteをやる気になった時にそこにでも書くとして(つまりは割愛します)、振り返ってみるとわりと昔からぼんやりとした進路選びとか、自分の希望がどこにあるのかよくわからない状態でした。

できることといえば多少ものを作るのが好きだとか、絵が描けるとかくらいのもので、それしかできないならそれで生きていけるようにならなきゃいけないのだろうなという感じで選んだ進路でしたが、体を壊して続けられなくなってしまって、ほんの少し前までは前後左右が真っ暗闇だと感じられました。好きなことではあっても、仕事にできるほどのものではなかったわけですね。あるいはそれまでに抑え込んできた何かしらの膿がことここに来て噴き出しただけなのかもしれません。

主治医からは「あなたの人生はあなたのためにあるんですよ」と言われたのですが、わかってはいてもうまく飲み込めないから大変なんですよね。自分のために生きるってどうしたらいいんだろう? 自分が自分と必要とするってなんか……難しいな。シンプルに生きたいな。わからん。



来週は1年ぶりの誕生日です。1年ぶりで当たり前か。

成人少し手前から今まで、自分ではほとんど棒に振ってきたと思ってる年月ですけれど、ひとつひとつ思い出してみると、本を出せたこととか、大事だなと思える人たちとの出会いとか、悪いことばかりではなかったですね。いろんなことが後からわかってきて、自分の生き方の指針もなんとなくヒントが見えてき始めましたし、何よりまだまだ絵が描きたいし、たくさん描いてきた絵のことは人生の中で唯一真摯に愛せるところです。

まだ色々焦りの抜けない日々ですが、ゆるく生きられたら嬉しいなと思います。

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