2019年2月8日金曜日

絵と数字の話

日中だけを見るとだいぶ暖かくなってきたような体感。その分眠くてたまらない。

Twitterは気軽に書ける分、言いたいことが長くなると1ツイートに収められない分いらぬ誤解を生んでしまいやすく、ブログでは好きなだけ長い文章を書ける反面じっくり腰を据えて書かないといけない……というのが最近のジレンマなのですが、いざ書いている時は正直ブログの方が楽かもしれないなと思います。
(元々何か言葉を発するのにゆっくりと考えてからでないと出てこないタイプなので、最終的に要する時間はTwitterでもブログでもそんなに変わらない)

まだTwitterに戻ろうという気持ちにはなれてないです。原稿が出来上がる頃には(告知とかしないといけない)否応なしに戻ってくると思うので、そのくらいの雑な感じでいきます。

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最近考えた「SNS上の数字」について少し雑感。
長文&とっちらかった話なので途中で読むのをやめそうな人にはおすすめしません。
あと人の反応を大して気にしたことがないという人も。多分わからないと思うので…

「Google Chromeの機能拡張でTwitterなどのRT数・いいね数(フォロワー数等も)を非表示にできるよ!」というものを見かけ、なるほど便利だなあと思いつつ「性格上、数字が創作に悪影響なことが多かったので」というその方の言葉がなんとなく印象に残りました。
機能を紹介していた方が果たして同じように考えていたかはわかりませんが、SNSと切っても切れない「数字」という概念が気持ちに重くのしかかってきた経験は自分も覚えがあります。

以前ツイートでも少し言ったことなのですが「いいねをもらって嬉しいと感じること」と「数字に苦しいと感じること」は全く別の概念だと思うのです。
ことSNSにおいて、1記事に付加される賛同の数量は時に「その記事自体の価値」と見なされることもあると思っています。"こともある"と書いた通り、評価がどれくらいあったからといって本来それ単体の価値が左右されるかどうかはケースバイケースです。(たとえば仕事であればそもそも評価されないものを作ったってしょうがないので、それこそ評価が価値に直結する…んじゃないでしょうか?)

でも好きでやってる絵に対して、さらに作者の環境(この場合フォロワー等の状況ということにしておく)次第でいくらでも見る人数の変わるところで誰かが好きだと思ってつけた評価が「価値そのもの」と見られやすい「数字」で残るのはしんどいなと感じます。
「いいねがこれだけしかもらえなかったからしんどい」ではなく「この人やこの人がいいねと思ってくれた気持ちが数字に置換されてしまうからしんどい」みたいな。伝わるだろうか……伝わらないかもしれない。伝わらなかったらそれもまたしんどいけどしょうがない。
最近は「ブックマーク」機能が出たおかげで、こちらからは全く観測できない「いいね」の形も地味に増えてきました。そういう意味でも数字ってあてにならないのです(昔からいいねを押さずにクリックorタップでローカル保存といういいねの形はありましたけどね)

「別に数字は価値の高さじゃないでしょ?」と言われたら確かにその通りですが、例えばTwitterではアカウント凍結の基準にフォロワー数がある程度関わっていたり、ある程度以上のユーザーを「アルファ」と呼ぶ文化もあります。ツイートが一定数以上拡散する(バズる)と、その言説そのものが大きな力を持っているかのようにも錯覚するんじゃないでしょうか?それだけ多くの同意や感嘆が得られている証左ですから(勿論すべてのバズりがそうではないし、何言ってんだこいつ?という意味で拡散される炎上パターンもしばしばある)

これだけ数字について細かく考えてしまう自分は、裏を返せばそれだけ普段から数字に囚われて意識しすぎているということでもあります。それが嫌なんですよね…そうそうあてにならないくせに無駄に気持ちを引っ掻き回していく…SNSに向いてない人間なんだと日頃から言ってるのはこの辺りが関係あります。
でも外部から「生きづらそう」とか言われる筋合いはないぞ!

SNSの「いいね稼ぎ」に夢中になった結果「バカッター」的な行動に走ったり、リアル生活がめちゃくちゃになったりという例もあったりして、数字ってなんだろう……と思わずにはいられません。最近めちゃくちゃ各地の広告で見かける某漫画も割とそんな感じのテーマですよね!(あっちはインスタがモデルですが)

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先日の投稿でも言ってましたが、近頃は絵を描いても上げる気がしなくて放置したりしています。(そもそもTwitterは絵を投稿する土壌としては不適だし)
自分がこんなに素敵だと思ったものなんだからきっと誰か同じように思ってくれる人がいるだろうと思いつつ、自分が最高だと認めてるならわざわざ雑踏の中に放り込んで人に数字をつけられる必要もなくないか?とゴチャゴチャ考えたりして結局何もしないみたいな…
(誰かにいいねをつけられるのが嫌なのではなく、前述の「いいねを数値化される」ことに嫌悪感を覚えるからです。伝わってほしい)

数値化というと同様のことはpixivにも言えるのですが、あちらは「他者の投稿はクリックし詳細を自分で見に行かない限りどの程度数値があるかは見えない」という大きな違いがあって、通知の設定も割と細かくカスタマイズできるのでほとんどストレスになることはないです。ツイートは流れてきた時点で数値が見えているので、感じる印象はまるで違う。

本来の壁打ち垢に戻そうかと、現行のフォローをもれなく全て外したいと思っても「相互」というつながりが切れるとそこで縁を切られたみたいに思われそうでイマイチ踏み切れず(そもそも自分は誰かとつながるためにフォローしてるわけでないのでそれも変な話ですが)
いっそのことFANBOX等を開設して支援してくれる人にだけ公開という形にしようか?とも考えるのですがそれも少し思っているのとは違っていて、モヤモヤは尽きない…

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