2019年2月19日火曜日

絵と数字の話:その2?

最近「がっこうぐらし!」11巻を購入して読んで、次巻でとうとう完結するのかという感慨と、詳しくはバレになるので言えないものの深い喪失感というか寂寥感…どうして…という気持ちに襲われました。どんな終幕を迎えるのだろう。
ぐらし!はアニメ化の際に存在を知ってハマったのですが、実写映画は一体どんな感じになるんでしょうね…怖いもの見たさはあるけど怖いものは怖い…

あとドラクエ映画化とかDeltaRuneのSwitch配信とかそこらへんの怒涛の動きも怖い…まんじゅうこわいに近いものもあるし、ちょっと脳が追いついてない。steamを利用していなくてデルタルーンはまだ触れたことがないので、実際に遊べるのが楽しみ。

***

記事タイ見て以前に読んでくれてる人は察するかもしれませんが、少し書きたいことが増えたのでまたいろいろ書いていきます。後はめちゃくちゃ自分語りな数字との付き合いの話とか。

先日(11日〜12日頃)Twitterで結構大規模な不具合が発生して、「通知はきているのにツイートやアクティビティにはいいねやRTなどの数字が表示されていない」「表示されたとしても数値が実際にもらったいいねよりも過少に表示される」という現象が起こっていました。
調べてみるとかなり広範囲がやられていたようで、ちょうど障害発生とかぶるタイミングでTLに絵を投稿していたので自分も同じ現象に遭遇しました。今は表示は元に戻ってるっぽいですね。

「底辺ツイッタラーになったみたいになってる!」
「通知はきてるのに数字がない…誰も見てない…?この通知は虚像…?」
などなど検索結果は阿鼻叫喚、「普段見えていた数字が表示から消えるだけでこれだけ大きな影響が出るのか」となんだかいいサンプルを見た気分になり(?)同時に無性に恐ろしくも感じました。

その中で「普段からRTいいねの表示ON/OFFを自由にできたらいいのに。数字がどうのの色眼鏡でツイートを見なくてよくなるし」という旨のツイートもあり、そういう風に思っている人はやっぱりいるものなんだなあと変な安心感を覚えたりもして……Twitterユーザーが何人いるか考えたら一定数そういう人はいて当たり前なんですね。
願わくは本当にそういう機能が実装されてくれたら嬉しい。でも多分なさそう

***

※ハイパー自分語り※
基本的には誰からでも絵を素敵だと言ってもらうことはとても嬉しくて幸せな気持ちになります。いいねと言ってくれるのが家族や友達等の身内だけでも、それだけでうれしい。

Twitterも最初の頃と現在は同じようなノリでゆったりとやっているかたわら、数年前までは「これだけしかいいねがつかない」みたいな妄執に取り憑かれてめちゃくちゃになってた時期がありました。なんとか「これではいけないな」と思い鍵をかけたりして、なぜそう思うのかについていろいろ考えていました。

「数字が少ない≒評価に値しない」という(実際にはそんなことないにもかかわらず)思い込みにとらわれており、いいねと言ってくれる人がいながら「自分の作品はこの程度」という勘違いを起こしていたのがことの元凶。
いわゆる「神絵師」な人たちの世界ばかりに目がいって、ふと自分を見たとき愛着ある絵にわずかな数字を突きつけられることで「お前の絵なんか誰も見てないぞ」と言われているような気がして(被害妄想)勝手にダブルパンチを食らった気になっていました。そんな架空の敵はどこにもいないのですが…

自分でこんな過去の恥を掘り起こすのは結構パワーの必要な作業ですが、どうしても書いておきたかった。数字がどうとか、そこから完全に解放されたわけではないけど、今では上手に切り離して見れるようになった……気がします。
とはいえ一度陥った妄執からは簡単には抜け出せないもので、いつまたぶりかえしてしまうかもわかりません。油断できない。

***

Twitterは絵を載せるのには向いてない形態のサイトだとは思いつつ、続けたい理由になる楽しいこともたくさんあるので今後もほんのり悩みつつ続けていくと思います。
絵の投稿先ならPixivもあるし、ほったらかしにしてしまっている別サイト(DQ二次用に作った)もあるのでもしTwitterに載せなくなってもどこかしら絵の置き場はもうけます。

もう少し根気とかがあればどんどん本にして出したいとも思いつつ、なかなか難しいですね。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。