2020年9月21日月曜日

昔と向き合う話

コンビニスイーツってすごく進化してますよね。入るたびにどれも美味しそうで、つい散財しそうになるので空腹であれば満たしてから行きたいところ。


それはそうと、最近は思い立って昔のことを文章に起こす試みなどをしているところです。

ここでは療養しているとか、手帳持ちになったとか、そういう自分の話をちょこちょこながらしてきたわけですが、その原因の一端(原因自体は他にもたくさんの積み重ねなんですが)をこれまで封印してきたので、ちょっと向き合ってみよう、それだけの余裕はできただろうから、という感じ。

でもやってみたら全然ダメですね…書けば書くほど具合が悪くなりました。でも結構書いちゃったし、ということでメモをロックして休止中。思い出せば出すほど、当時は言語的な理解が追いつかなかった状況がおかしかったんだなとわかって背筋が寒くなるし、息が詰まりそう。色々調べてみて、この拒絶は正常な反応なんだな、という気付きはありましたが……

その場で考えながらの応答とか発話が苦手なので診療中もだいたい事前に考えたりメモしてきたことを話すだけなんですけど、口に出すのも憚られるものであれば文に起こしてもそれも立派な「言語化」ですよね。このブログもそうです。何を感じたかとか、しんどいけどやりたいことだし、自分に何か不備があって起きたわけではないんだという気持ちを新たにできる気がする。よくわからんのですが話そうと思っても口で喋れないことって、診療時に紙に書いたり印刷して渡してもいいもんなんでしょうか?


これをなんとかできたら、絶対に今よりは人と関わる苦痛が減ると思う。あと自分の悩み苦しみを外に発信してくことへの抵抗感とか、そういうのも減るかな。なんか創作にかまけてる場合じゃなくこっちを先にやれよって気がしないでもないんですけど、これまでは目の前の生活だけで既にキャパオーバーだったんでその点だけでもやっぱり余裕ができた方だと思う。いやしらんけど(関西風)

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