2020年5月9日土曜日

ネットの使い方の話

このブログ、デフォルトでアクセス解析?のようなものがついているのですが、他のサービスを利用したことがないのでこういうのって普通なのかよく分からない、というのが最近の疑問。定期的に気になる。
そんなことを思い出したら、利用サービス(ほぼTwitter)について色々覚え書きしたくなったので書いていきます。(前回の投稿で多分初めてだってくらい多めに自分のことを書いたので、少しだけそれで楽になったようなそんな気分)

Twitterでは「お腹空いた」「ウオー」「頭痛い」レベルのことしか言わない日常用の鍵垢(こないだ10周年でした)と、普段作品を上げている絵垢と、さらに別個に萌えツイする用の垢とを大体持ってます。以前から作者と作品とを分離しておきたい(勿論他者がそうしないことに関しては別に何も思いません)というスタンスがありましたが、近頃はイマイチ「自分」と「絵」とを切り離せていなくて、それがまた精神的なストレスになってしまってて難しい。
基本的にあまりここなど以外で自分の話をしたくなくて、しかし同人を始めるのであれば多少の自己主張はトラブル回避のためにもしておいた方がいいのかもと思い始めています。まだツイフィにごく一部書いてる程度ですよね。
具体的に書いておいた方が良さそうなことといえば「通話・ボイチャ系は全般NG(聞き専でも無理)」とか、そもそもの問題として「フォロバは非常に慎重です」とか、あとは(多分そうと知らない人がほとんどなので)絵垢ではRTを基本的にしないこととか……広める気がないのではなく、あくまでも個人的な精神衛生の問題で。自己引用はたまにするけど。通話は発語が苦手でレスポンスが非常に遅いので、参加できていた頃もチャットでのみ話してたくらい。

絵だけ上げてのんびり自分用ギャラリーのようにしようと思っていたアカウントなので、交流目的の垢を作ろうか、と思ったことは数知れず。実際はああいう(手帳が下りるような)状態なので最初から人と関わることを避けていないと本当にしたいこと(創作)に手が回らないため、結局何もできずといった具合……。でも普通にTLで交流していた時期もあったので、単に今精神状態が良くないだけかも。
創作の時点で悩みが尽きないのに、さらに人との関わりに悩むためのキャパなんて確保できない。なのでここ数年、交友の輪というものを広げられていません。

オタク的な表現にすれば自分みたいなのを陰キャって言うのかな? 作業「通話」ができる時点でみんな元気だなあ…って思うレベルなんですけど。それが一言も発さない環境音だけ(たまに喋ったり喋らなかったり)のやり取りだとしてもですよ。

日常垢で交友のある人は学生時代からの友人であったり、考え方や抱えた問題が似てるなど、基本的に私のこういった状態をつぶさに知っている人間だけなので、絵垢で人間関係を広げることに躊躇するのはそういったことも多分に関係あるのだと思います。
しかしてこういう「素」の自分と、創作している時の自分は別にしておきたいがためにアカウントを分けているので、「創作と自分を紐付けても良い」という風に根本的な考えが変わらない限りは行動できないでしょう。こいついつも同じ話してんな。
自分自身の好きなクリエイターに関しても、あまり本人のことを深く知ろうとは思いませんし、知った結果作品が愛せなくなるかも知れないと思うとそれは悲しい。なのでこういう話もここでばかりボソボソとしてしまう。
古い時代の画家や音楽家などは残念エピソードも全て「過去」のものなので、本人は残念だけどそれはさておき神作品作るよなぁと割り切りがしやすいですけど、リアルタイムで残念な面が見えてくるのはだいぶ印象が違うものなのだというのを、ネットを使い始めて痛感しています。
そういう意味では「自分自身も含めて肯定しないのであれば別に作品を見てもらわなくても良い」と表明しているタイプの人は、きっぱりしていて潔いしありがたいなと感じることもあります。私みたいな「作品と作者は別」考えでありながらそのくせ全然それらを切り離せてないタイプが一番たちが悪いんじゃないか?と。これは単なる自戒です。

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