2020年8月22日土曜日

作品と視線の話

冷房設定を24〜25度辺りで推移するのが例年の夏なんですが、ここ数日は23度設定にしても部屋が生ぬるくて泣きそうです。フィルター掃除したばかりなのに…殺人的暑さ……
甲子園大会が中止になったので今年は夏の昼間が空いてしまうなあと思いながらダラダラとしていたのですが、いつのまに交流試合なるものが開催されててびっくりしました。少し違った形にはなるけど、今年ものんびり観戦しましたよ。地元校が勝ってて嬉しいです。

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絵への体力気力を失ってゴロ寝を繰り返している間にもなんとかそれなりの量の文章を書くことができたし、近頃はゆっくりながらまた絵を描いていられるので個人的にほっとしています。

最近またまた作家さんの筆を置きます宣言が創作上の色々な話題に波及してましたけど、難しいですよね。
承認欲求で作品を作ること自体は悪いわけじゃないし、多分なんですけど人が初めて何かを形にしようと思った時に感じたものは多分褒められたいとかじゃなくて純粋な衝動だと思うので、最初はよくても時とともに蓄積されたギャップが苦しいって感じなんでしょう……

「認められるための仕事をする」と言い換えれば、ある種勉強なり業務なりスポーツなり誰でもやってることのはずで、文学とか芸術とか社会での立ち位置が間接的な分野というか、うまく言えないけど…単純な技術と評価がイコールにならない世界だから「承認欲求で作るな」っていう論調になるんでしょうか? でも結局内心というか思想・信条は自由ですしね。難しいな。

私も正直「思ったより反応がもらえない」時は苦しいと感じますし、でもきっとそれを表明することは賛同よりも多く反感を買うであろうなという感覚もあって、言わないようにしてます。(絶対に言わないとは言ってない)
上述のなにが一番問題かって、たとえば可能性としてもらえる反応の上限を100としたうち「0」ならある意味言いたい放題ですけど、「1」でも反応があったのであれば多分その人は何か作品に良いなと感じてくれた人なわけで、その「1」を無視して得られなかった「99」にばかり目を向ける姿勢ってことですよね。そりゃ悲しい。私がそういうことを言わないように心がけてるのは「1」の人への感謝があるからで、かわりに「良いと思ってくれたn人だいすき」って感じでとらえてます。
でもこれ「思ったより反応がもらえない」とも両立・並存する感情なので、その辺をどう自己解決していこうかな……というのも普段よく考えています。

だいたいそういうギャップが生じる理由が
・アピールが足りていない(上げる時間帯が悪い、再掲しない、宣伝しない、タグをつけていない等)
・多くの人のみられる環境にない(Twitterであればフォロワーが少ない等)
・要素が人を選ぶ(特殊性癖とか)
・単純に自己認識より下手
とかなんですけど、一番上と一番下以外はなんかどうしようもないんじゃないかな?という気がする。

2番目の問題はSNSの構造上、新着であるとか人気であるとか、話題にされてるものがより優先的に表示されるようになるので、多くの人の見る環境っていうと結局は評価が得られている的なことになって、AをするのにAが必要みたいな……そんな感じ。解決できなくない?と思う。3番目は単にもう需要と供給の問題。どうしようもない。

自分自身も最近はそうなってるのでとやかく言えないんですけど、もう今はpixivやらなんやらで「自らいいものを探しに行く」というのをやらないって言いますし…流れてきたものを見るだけ、見逃していても探さない、ひたすら受け身のスタイル。
小学校の図書室でおもしろい本がないかと棚をじりじりカニ歩きしたり、司書の先生におすすめを聞いたりしてた頃のパワーがずっと維持できたらいいのにな〜と思う。
(そもそも論として、SNSという受け手側の能動性のみ数値化するツールがそういった創作と相性が悪いってのはここでずっと言ってるんですけど)

美術館や個展なんか行くと、見せられる限りのものはそこにただ鎮座してて、スタンプラリー設置でもしてない限りそこに来た人が「気になって足を止めた」「いいなと思った」のがわかる瞬間はほんの刹那なんですよね。来場者アンケートなどがあっても全員が書くわけでなく、書いたとしてもこれがよかったです、と具体的に書く人はもっと少ない。
上で言ったSNSだと非公開型のブックマークとか、そんな感じじゃないですか?「これ好きだな」と思った気持ちはそこに確かに残ってるけど、見た側にしかそれは確認できなくて作り手からの観測手段はないという……

やっぱりSNSの数字ってクソだわ!(結論)
余談ですが、たまに絵を描いてからUPするまでに数日のタイムラグが発生する事があるんですよね。「自信作だからあまり見られないと凹んじゃうな→誰が見てくれなくても自分がこの絵を好きなんだから、凹む事がわかってて上げるくらいなら自分以外に見せる必要なくない?→でも見て欲しい!好きだから!」のループに決着がついた時にようやくUPできるんです。めんどくさいなお前。
落ち込んだ時とか、誰かが「視線を向けてくれた」「足を止めてくれた」っていう事実を思い出して大事にできるようにしていきたいですね。

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