2020年8月11日火曜日

ゲーム語りとか

 bloggerのデフォルトになった新しいUIが使いにくすぎて、ここ最近はスマホから投稿を編集していたのですが素直にPCを開くことにしました。
PCといえば、最近はタブレット端末全盛時代なのでローマ字入力ができない世代が増えてるって聞いて結構びっくり。でも欧文/和文タイプ、ワープロときて今はフリックor直にペン入力の流れなんだろうなと思うと、この次はどういうスタイルに変わるんだろうとか少しわくわくする気持ちがないでもないですね。タイプライターの時代はさすがに知らないけど、ワープロは幼少期に家族が仕事で使ってたのでわりと身近。

暑さが半端なくていのちだいじにって感じなんですが、のんびりラッキーパネルやってたDQ7もオルゴ・デミーラ第一戦を終えまして、これからトゥーラ弾きを探しに行くところです。しかしなんであいつが復活したのか…
7の印象的な存在である四精霊ですが、メルビンの回想シーンで神と魔王との決戦が行われた際、それと思しき4色の光が神から切り離されて地上へ落ちていく演出が挟まってましたね。「神が自身の敗北を悟った際に生み出した分身」という説明と「古来より精霊を信奉する一族がいる」という設定について矛盾しているのではないか、という声があるようですが、別に矛盾はしないんじゃないかなと思っています。
7の世界観全体に下敷きとして存在するであろう聖書及びキリスト教の概念に「三位一体」というものがありますが、父・子・聖霊(「精霊」は誤記)はすべてそれぞれ同一の存在でありながら個々に独立して存在するという……(多分そういう理解でいいんですよね?この辺は自分もあまり詳しくない…)この仕組みに沿えば、7の神と精霊の立ち位置もそれに近いものと言えなくもないですね。
「元々は神の一側面としての存在であり、独立した人格がなかった」精霊たちが、決戦の際に神から切り離されて「独自の意思を持ち行動するようになった」と考えれば、大きな矛盾はなくなる気がします。炎の精霊を信仰するエンゴウの民は精霊のことを「炎の神」と呼んでますし、神でもあり精霊でもある、という感じなんじゃないかなと。水の精霊が主人公を守ったこととか、ジャンに後天的に出現した神のアザとか、その辺りも前述の内容とマッチすると個人的には思う。
ただそうなるとそれぞれの精霊の性格も神の一部だったともいえ、風の精霊のものぐさコギャルな性格はどこから……?ってなるんですけど、DQには伝統的に「ぴちぴちギャルになりたがる爺」のキャラクターが存在するので神様もその類型だったということでゴリ押せないかな……もうすぐわしは ぴちぴちギャルになるんじゃ!(なれません)

夏恒例のキャンペーンが開催中なので久々にグラブルもつついてます。いつのまにクリス様に最終が来ててびっくりしました……遊んでなさすぎるのが悪いんだけど、必死にポーカーやってメダルを稼いだ思い出がよみがえる。風属性キャラの中では一番愛着がありますね。
ver2バトルの頃からやってないのでちょっと仕様の学び直しに時間かかってますけど……デビルの5凸が終わったのでフラウさんと一緒に何かマルチをやりたいところ。

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