2019年5月22日水曜日

言葉の使い方の話

爆弾低気圧に見舞われたので直近2日程は静かに過ごしてました。原稿やってません。
嘘です!やってませんとはここ数日の話で、もうベタは終わったので少々の中休みタイムです。週末からトーンを貼っていこうと思います。地獄の範囲選択作業が始まるぞ!

***

先日ここで(主に絵描きなどに関する)作品と作者がどうの…みたいなお話を書いてましたが、ちょうどその後のタイミングでTwitterで「日常はいらん、絵だけ上げてろ」と言われた人が悩んだ挙句に垢消し、みたいな話題がバズっておりました。すごい偶然。

そもそも「絵描くな」と言われるよりは「絵だけ上げてろ」と言われる方がまだ絵は望まれてる分マシかも……いやそんなわけあるかい。どっちだって嫌じゃい。
発端になったお話の、絵だけ上げてろと凸ってきた人間に関してはまぁ論外だな!で終わりなのですが、Twitterの使い方に関して思った事があるのでまた書きます。しつこいね〜このハモ。

絵描きも字書きも原型師も皆、それ(絵や字を作る人)である以前にいろんな思惑を持って生きてる人間です。SNSの使い方なんか自由でいいのです。
もうちょっと補足すると、「私の日常をあなたがたには開示したくありません」という意思を持っていたってそれも本人の自由なわけです。これ言わないと巷の意見(日常見れると嬉しいからどんどんつぶやいて〜的なこと)と全く一緒になっちゃう。
「見せたくない理由」はそれこそ人によるので、まあそのへんは後ほど。

あと「人にそれを強要しない」という前提を遵守する限りは、誰か絵やSSを生み出している人に対して「日常なんかどうでもいいから、作品だけ見せてくれないかな…」と思ってもいいのです。作り手の使い方が自由なら、それに対して抱く受け手側の思想もまた個々人の自由。
話題のツイートの凸相手が論外だと言ったのは、上記の前提を破っているから。

(別にファンじゃなくて単にその絵描きを潰したかっただけじゃない?という可能性についてはここでは切り捨てます。そういったIF論はいくらでもひねり出せてきりがないため)

先の学級会の流れの中で心配なのは、クリエイターのアカウントは日常もツイートして然るべきという論調が力を持ちすぎないかどうかというあたり。学級会だからどうせ長くて1ヶ月もすれば自分含め忘れ去っちゃって何も変わりゃせんだろうが
ともすれば逆パターンの「あなたの作品だけでは寂しい、日常風景も見せてくれないか」というのもありそうで(あるか?)それはそれでダメ。思うのは勝手だけど人にそれを要求するなって。

***

のちほど〜と後に回した理由の話。
作品と自身とを分けている人にもそれなりの理由があったり別にそうでもなかったりしますが、大抵はオン(創作)とオフ(生活)のスイッチをしたいだとか、そういう理由な気がする。
あるいは「本当に見る人が引くようなヤバい生活をしているから、見せたくない」って人もいるかもしれない。それはまあ極端な例だとして、日常生活は文字通りプライベートな出来事なので、読者にオープンにしない人がいるという方が本来自然なことじゃないかなと思っています。
創作趣味も日常の一部でしょといえばそれもそうなんだけど。

私は自分の日常なんか見せても面白くない(それは普段からお見せしてるタイプの人たちも皆同じこと思ってると思う)のと、自覚として人より意志が弱い方だと思っていて、自分を律するためにあえて垢分けをしているところがあったりします。当ブログではある程度日常を書いていますが、その辺の理由は冒頭で引用した先日の記事ですでに書いたので割愛。
療養の具体的内容がどうのとか、自分語りもしようと思えばいくらでもできるんですが、きりがないし。病人の日常日記をここでするくらいならそれ専用のブログ作るわい。すでに半分日記帳になってることには触れないで

あと自分の場合ツイ廃が過ぎるので、絵だけ分けとかないとあとで自分も過去絵探せなくて困るからです。当初の目的はそうだった。累計40万超えるツイート砂漠からビーズ探す作業なんてゴメンだぞ(本垢は基本的に鍵なのでTwilogに頼るという手は使えない)

心の中で思うだけなら「お前のそのツイートいらねえ」と思うことも自由だよ!
・相手に面と向かって伝えるのはやめようね!(それは思想の押し付け)

だいたいこんな感じの内容でした……か?(?)
この手のトラブルというか事故というかそういうのが減ったらいいな〜。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。